反出生主義に触れて

思考

『ただしい人類滅亡計画』(品田遊)を読んだ。内容はとても読みやすく、数時間で一気に読み切れた。この本が反出生主義の考え方をどれだけ充分に表現しているのかはまだ分からないが、概ね主旨は理解できたような気がする。

まず感想としては面白かった。反出生主義は、人間を生み出すことが善か悪か?そもそも善悪の主体とは何か?という問いを突き付けてくる。個人的に面白かったのは、「一見荒唐無稽に見える考え方(人間を生み出すこと自体が悪である、という主張)も、特異とは言えない前提と、客観的には正しい論理構成で導けるんだな」という発見にあった。

反出生主義は「出産=不幸を感じうる主体を新たに生み出すこと」という前提に立っており、それ自体が明確に否定はしづらい命題ではあると思う。それに対して、「生まれてきた人間は、その人生の中で不幸を感じることはあるかもしれないけど、それは生まれてきた人間にしか分からない。生んだ側の人間としては、できるだけ生まれてきた人間が幸せになるように努力するという責任を取るしかないんじゃない?」という、投げやりのように見える反論も、また否定が難しい。

少し話はずれるが、「生きる意味」というものを考えてみたとき、どうしても「人類は(人間的な時間軸では)遠い将来滅亡することが確定的」ということを考えざるを得ない。地球、または太陽が崩壊する前に、他の天体に移住するという可能性もないではないが、人類という主が永遠に生存し続ける可能性はほぼゼロだと考えて間違いは無いであろう。

遠い将来に必ず絶滅するという前提の中で、人類がより長く生存するように努力をする意味が、今生きている人類にとってあるのか?という疑問もまた、答えるのが難しい問いであるように思う。要は、人類の絶滅は時間の問題であり、それが早かろうが遅かろうが変わらないのではないか?どうせその善し悪しを判断する主体となる人類そのものがいなくなるのだから。

SDGsに代表される、「次世代の人類のために、できるだけ資源を残し、負の遺産を減らすべきだ」という考え方は、「人類は世代交代を繰り返しながら、種として生き続ける」ことを前提にしている。もちろんしばらく人類は絶滅の危機に瀕しないだろうし、「次世代のため」を考えることが間違っているとは思わない。

このことを考えるためには、「次世代のため」という考えと相いれなくなってきた資本主義のことと、そもそも人類を主語にすることに意味があるのか?という問いに繋がりそうな『利己的な遺伝子』等について学ぶ必要があるような気がしている。

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